JPCA-日本写真著作権協会
監事 酒井憲太郎
2025年6月7日、東京新宿のヒルトンホテルで、写真家・木村惠一氏を偲ぶ会が催された。
木村氏は2025年3月4日、89歳で亡くなった。当会会員団体である日本写真家協会(JPS)の名誉会員だった。生まれは1935年下谷竹町の材木屋。1958年、日本大学芸術学部写真学科を卒業後、写真家・渡辺義雄写真研究室で助手をつとめた。その後、同級の集まり写真同人「六の会」を結成する。メンバーは熊切圭介、齋藤康一、野上透、松本徳彦、高村規、木村惠一の6人。
会場の資料に木村氏の個展、出版物についての掲載はあったものの、著作権との関わりについては記述がなかったため、資料(日本写真家協会会報)をもとに振り返ってみたい。
まず、新著作権法成立後の1971年9月号では、「JPCA-日本写真著作権協会」の誕生を伝え、著作権に関する会議レポートが掲載されている。出席者は、渡辺義雄(JPCA会長)、他4名、木村惠一氏は広報担当として司会をつとめている。JPCA発足の趣旨と、その後の経過を渡辺氏が説明した上で、新著作権法について論議したとされる。
1988年2月号には、日本写真家協会会議室で行われた会議録が掲載されている。「写真著作権運動かく戦えり–新著作権法成立までの動きをふりかえる–」と題された座談会で、出席者は渡辺義雄氏、木村惠一氏ら5人。JPS設立以前の戦前の著作権の話も語られ、なかでも写真著作権の保護期間を問題にしている。
1997年、写真著作権は死後50年へ法改正された。現在の写真著作権の保護期間獲得のために共に活動した仲間としてご冥福を祈る。